ごあいさつ
初めまして。差別化プロデューサーのいとうさちです。
「世界を特別で満たす」
という理念のもと、あなただからこその「らしさ」を見つけ出し、それを一番輝くカタチで表現するお仕事をしています。
このページでは、私がなぜ、今の仕事を始めたか?私の原点となる経験をご紹介しながら、お仕事するうえで大切にしていることをお伝えできればと考えています。
少し長くなりますが、ほんの少しだけ、お付き合いください。

高揚の瞬間
私は、15年間、銀行でエンジニアとして働いていました。入社当初から、エンジニアの仕事が大好き。
エンジニアのお仕事として、パッと頭に浮かぶ姿は、パソコンに向かってプログラムを書く姿だと思います。もちろん、プログラミングは大好きでした。書いたようにしか動かない、言う事をなかなか聞かないエディタに向かっていると、いつの間にか終電を逃す・・・なんてことも日常茶飯事。
ですが、私がエンジニアのお仕事で一番魅力に感じていたのは、お客様と話をしながら、真の要求を見つけ出す瞬間です。

実は、エンジニアって、プログラムを書くだけが仕事ではありません。お客様のお話を伺って、どういった仕組みを作っていくかを決めるのも、大切なお仕事のひとつ。
お客様と何度も膝を突き合せ、今起きてる問題点や、これからの未来のお話を深く伺っていきます。
すると、
「そうそう、いとうさん、欲しかったの、それです!」
という瞬間に立ち会うことが出来るんです。
その瞬間は、未来への希望に溢れ、目が輝き出し、そこで得られる高揚感がたまりません。
だから、未来を描き、自分の手で実現できるシステム開発というお仕事に、ただならぬ魅力を感じていました。
天職
若いころは、とにかくお仕事優先。
参加したいプロジェクトがあれば、真っ先に手を上げ、自分の意志で仕事を選んでいました。
15年のエンジニア人生。振り返ってみると「大型プロジェクト」に携わったのは3回。その中には、「日本初の仕組み」を開発し、開発リーダーとして携わったシステムが日経新聞に掲載されることもありました。
「社会を変える、理想を実現する」という仕事は魅力的でしたし、仕事に夢中だったんです。
それに、今のように「ワークライフバランス」とか言われた時代ではありませんでした。プロジェクト計画を死守するためなら、終電を逃してタクシー帰り、始発出勤も当たり前。
内臓を壊してドクターストップがかかっても、
生理が止まったり、体中に蕁麻疹が出ても、
長女を出産して子育てがあっても・・・
ますます仕事にのめりこんだのです。

なぜ、そんなに身を粉にして働いていたのでしょうか?
それは、自分の意志で選んだ仕事だったからです。
私が選んだ会社。私が選んだプロジェクト。
それが、働くモチベーションでした。本当に天職だと思っていました。
ですが、ある日、転機が訪れます。
急にやってきた、会社命令。
異動の内示。
転機は突然
毎日毎日プロジェクトのため、会社のため、メンバーのため、誠心誠意、働いていた中。
「絶対に行きたくない」と言っていた、とあるプロジェクトへ出向命令がありました。

実は、そのプロジェクトが火を噴いている!ということは知っていました。
日本の経済を左右するような大規模プロジェクトにもかかわず、人が足りない、開発経験のあるメンバーが足りないと、おおがかりなメンバー募集をしていたからです。
ですが、私は、そのプロジェクトには行きたくないと公言していました。
まず、そのプロジェクトの進め方が、政治的な観点で、なんだか私がしたい仕事の方向性に反していたこと。さらに、私は当時、在籍したプロジェクトの中で、やり切っていないことがたくさんあったんです。
まずは、今ある課題をやり切ることが自分の使命だと思っていました。
だから、普段から、私は「そのプロジェクトには行きません」と、上司に伝えていました。にもかかわらず、出向命令があったのです。
上司も、私の「行きたくない」という気持ちは知っていたのに!なぜ!!!!
聞くところによると、もう上司の力ではどうにもならない、大きな力が働いたそうです。

そう・・・社内の政治的な力です。私の人生が、私の手の届かない何者かに操縦されている気持ちになりました。
プツン・・・
内示を聞いた日は、泣きはらしました。
ずっと好きでやってきた仕事、長年お世話になり、大好きだった会社です。その中で、いつも自分の選択で、自分で決めて仕事をしてきました。そんな中、初めて、自分の力ではどうにも出来ない「やるせなさ」が湧いてきたのです。
とはいえ、こういう気持ちを持って働いている人は、世の中にたくさんいると思います。会社にいる以上、会社の命令は絶対なんです。嫌なら辞めるしかありません。
ただ、そうは言っても、会社を突然辞めるわけにはいきません。既に子どももいました。住宅ローンもありました。家族への責任があります。
私はなんとか気持ちを繋ぎ直し、新しいプロジェクトで働き始めました。
が、どうしたことか・・・全く以前のように仕事が出来ないんです。
もちろん、仕事ですから、与えられた役割はちゃんとこなします。お客様とも、出向先のメンバーとも、いい関係を築けていたと思います。
でも・・・以前のような、心の奥底から湧き上がる情熱がないのです。なんだか緊張の糸がプツンと切れたブランブラン状態。
「もしかしたらまた仕事を好きになるかも!」と思い、その会社で3年くらい頑張りましたが、結局、その気持ちは復活せぬままでした。
きっと、もう私はここで情熱的に働くことが出来ない。そう思い、退職を決意したのでした。
生きたい生き方
このことから、私は、私の仕事観を思い知りました。
単にお金のためだけに働くことが出来ない性格。仕事を楽しめるか楽しめないか、前に進めるか進めないかは、「自分の中から湧き上がる情熱」によるところが大きいと知った出来事でした。
そして、その情熱の根本にあるのは、「誰かに決められた仕事ではなく、自分が選んだ仕事」であるということ、それはつまり、「私が生きたい生き方をしたい」ということです。
退職後は、もともと好きだったハンドメイドで、ティアラ作家として教室運営を経験。コネも実績もゼロの状態から、ブログとyoutubeを使って集客、教室運営する経験もしました。

そこからデザインの道を志したのは、本当に偶然の連続。
もともとは、自分のティアラ教室集客の目的で勉強し始めた「デザイン」。自分のホームぺージやブログを自分でデザインしていました。
その様子を見てくれていた教室業の仲間が、なんと、私にデザインを発注してくれたのです。当時は、そんなこと、想像もしていなかったのですが、それがきっかけで教室業仲間のデザインを作るようになります。
前職でのエンジニア経験も活かしつつ「ホームページづくり専門」として、はや2年。のべ100名様を超える個人の方へ、デザインを提供してきました。
「前提条件」に苦戦
ですが、私自身、順風満帆にここまで来たかというと、決してそんなことはありません。最初につまづいたのは、「ヒアリング」の部分でした。
例えば、
「誰にどんなものを販売していますか?」
「デザインのイメージは?」
「他の似た教室との大きな違いは?」
デザインを作るためには、こういう「デザインの前提条件」に関する質問がいくつかあります。
当時私は、それをエクセルシートで質問する。お客様にて回答を自分で書いていただき、その内容をもとにデザインを作っていました。
ですが、この方法には大きな問題点が潜んでいます。このヒアリングに対し、「白紙」で回答なさる方が想像以上に多かったのです。
今になって考えると、それは当たり前のこと。デザイン発注が初めての方にとって、この「デザインの前提条件」を考えるのって、すごく難しいコトです。
でも、当時の私は考えが短絡的で未熟でした。だから、「欲しいと思って発注している。だから、発注している時点で、デザインの前提条件は決まってるよねっ」と思い込んでいました。
だから、前提条件を教えてもらえない場合は、「デザイン出来ません・・・」とお断りをしたこともあるんです。(今考えると、めちゃくちゃ恥ずかしいです。ほんとにごめんなさい。)
思い返せば、デザインの勉強をしていた頃は、「デザインの前提条件」がある状態からデザインの課題をスタートさせていました。こういう人で、ここに困ってて、こういうことを解決したいから、そのためのデザインをする。そこをどうデザインしていくか?を学んでいました。
さらに、自分のデザインを作っている頃は、ヒアリング相手は自分自身です。だから「デザインの前提条件」は自分で作ることが出来ます。デザインを作る作業は、自分の中だけで完結します。
ですが、、、、
「相手」が出来た瞬間に、「デザインの前提条件」が作れない・・・そんな壁が立ちはだかったのです。
ガツン!師匠の言葉
うーーーん、このままじゃデザインを作れないなーと悩んでいたときに、私は、デザインの師匠から、とある言葉をもらいます。
「お客様が作りたいデザインが分からないことは、当たり前。分かってたら、自分で作ってる。分からないから、プロに依頼してる。」
私は、ハッと我に返ります。
そりゃそうだ・・・私が悪い。
よく考えてみれば、私が前職でお客様からいただいた、「そうそう、欲しかったの、それです!」という言葉。この言葉をいただくことが出来た理由は、「しっかりとお客様の状況を伺っていたから」でした。
前職では、膝と膝を突き合せてヒアリング。
必要ならお仕事現場へ出向き、そこで働く人のお顔を見ながら本音をお伺いし、お客様が見ている景色を自分自身にインプットしてました。
その状態で提案していたからこそ、喜んでもらっていたのです。
なのに・・・私は、何をサボっていたのだろう。
「前提条件がない」なら、「お客様と一緒に作ればいいじゃないか!」そんな風に考え直すことが出来ました。
見たいのは同じ景色
そこからは、もう夢中です。
お客様のお話、お悩み、人生のこと、事業のこと、デザインに直接関係なさそうなことでも、とにかく聞く聞く聞く!スタイルを徹底しました。

また、可能な範囲で、お客様のお仕事現場にお邪魔し、お客様のサービス、真心、それを受けるエンドユーザーさまの笑顔を直に触れる、ということも取り入れました。
とにかく、お客様のお仕事の空気を感じることにしたのです。そうすることで、分かったことがあります。それは、お客様の「価値観」そのものです。
もちろん、教室業を続けていくためには、売上は大事な要素。なのですが、それ以上に「自分の想い」を大事にし、人生をかけてお仕事をしている方がたくさんいらっしゃるのです。
自分らしさを模索しながら、様々なチャレンジをしたり、うまくいかずにもがいている人が、過去の私にリンクしました。「デザインに直結する前提条件」だけを書いてもらうスタイルを続けていては、絶対に理解できなかったと思います。
お客様と何度もお話する中で培われる信頼関係、「人と人」とのコミュニケーションがあるからこそ、お客様は私に、本音をたくさん話してくださるようになりました。

また、そういった関係を築く中で、私自身も自然と、「この方たちの魅力を、なんとか引き出し形にしたい」と、ひしひしと感じるようになっていったのでした。
理想は「憑依」
私のお仕事の理想は、あなたの魂を私に憑依させること。
こんなことを言うと、怪しい宗教か?と思われそうですが(笑)そういう意味ではなくて、「あなたの見ている景色を理解できるまで」しっかりヒアリングを徹底すること。表面上の見えてるものだけでなく、その内側の本音部分までも共有すること。
あなたの「らしさ」を私にインプットすることをスタートラインにすると決めました。
更に、これまで私が経験してきたこと
・システム開発のお仕事で得た開発スキルやお仕事を前に進める力
・エンジニアの仕事で培った論理的な思考と、そこから文章を組み立てる構成力
・ティアラ教室で経験した生徒様対応や、Webを使ったマーケティング
・自分のティアラを撮影するために鍛えた写真撮影の技術
・今も磨き続けているデザインスキル
全て総動員で、あなたの一番輝くカタチを見つけ、それを伝わる形で表現する!そこをメインに活動することに決めたのでした。
私が夢見る世界
あの日の私が叶えられなかった「わたしが生きたい生き方」
そして、そこから行動したからこそ、今、叶えることが出来た「わたしらしい人生」
ヒアリングの工程を見直したからこそ知ることが出来た、「私のお客様の人生」。
ひとつひとつが特別で、ひとつひとつ、絶対に誰とも違う、その人だけの宝物です。
それをちゃんと伝わるカタチにすることで、人生に確信と誇りを持ってまい進して欲しい。更に、それを見て、その情熱に触れた方にとっても、またひとつ、人生を前に進めるきっかけになる。
そうやって、情熱が伝搬することで、きっと、世界はもっともっと優しく、熱く、輝き出すと信じています。
「わたしらしさ」は、もう既にあなたの中にあります。それを一緒にカタチにしましょう。一緒にお仕事させていただける日を楽しみにしています♪


撮影会、パソコン整理の会、ドリームボード作成会などなど、お楽しみイベントは、LINE内で募集しています♪新しいサービスをリリースする際も、LINEからいち早くご連絡しています~

サービス


