こんにちは。さちです。
今日は、ちょっと、
自分でも不思議なくらい、
ゆったりとした気持ちで
「ああ、幸せだなあ」
と思ったことを書いてみます。
「師匠と呼べる人がいること」
についてです。
私は今、
人生をかけて、
ずっとついていきたいと思う人がいます。
その人のことを、
私は「師匠」と呼んでいます。
でも、
最初からそんなふうに思えていたわけじゃありません。
むしろ私は、
これまでずっと、
「師匠」って、
そんな軽々しく呼ぶものじゃない
と思っていたので
師匠と言いながらも
その言葉の背景を考えると
その言葉を使うのを
ためらっていたくらいです。
世の中では、
講座に入ったら講師のことを師匠と呼んだり、
コンサルさんやメンターを
師匠と呼んだりすることもありますよね。
それって、ほんまに師匠なんかいな?
と、懐疑的に見ていました。
だから、私としては
尊敬していても、
学ばせてもらっていても、
それだけで「師匠」と
呼ぶことができなかったんです。
私の中で「師匠」というのは、
この人の言うことであれば、
問答無用で、
本気で向き合いたいと思える人
人生をかけて、
見ている世界を共にしたいと思える人
そういう存在です。
だから、今、初めて、
「ああ、私、
この人を師匠って呼べるようになったんだな」
と思えたことが、
幸せだなって思ったんですよね。
もちろん、一瞬で
そんな気持ちになったわけではありません。
この三年くらいをかけて、
少しずつ、
少しずつ、
関係性が育っていった結果です。
反発したこともありました。
文句も言ったし、
離れようかなと思ったことも、
何度かありました。
「なんでこんなこと言うんやろう」
「きついな」
「無茶ぶりすぎるやろ」
でも、
そういう時間を通ってきたからこそ、
ただの憧れじゃない、
ただの依存でもない、
もっと深いところで
私の中の信頼が、
育っていたんやと思います。
この前、それを象徴する出来事を経験しました。
師匠の車に乗せてもらって、
ある場所へ向かった日のことです。
実は私、
昔、車で大きな事故をしたことがあって、
それ以来、
車に乗るのが
得意ではありません。
家族の車でも、
どんな人の車でも、
乗ることはできるんです。
でも、
身体はずっと緊張していて、
完全に身を預けることができないんです。
運転している人を
疑っているわけじゃありません。
乗せてくれて、ありがとうの気持ちもあります。
でも、
どこかで、
死を意識してしまうんです。
事故の記憶が、
身体の奥に残っていて、
もし何かあったら、
このまま死ぬかもしれない
そんな感覚があって、
身体がこわばります。
でもその日は・・・
師匠の車の後部座席に乗ったとき、
なぜか、
その感覚にならなかったんです。
めちゃくちゃ不思議でした。
あれ、
私、怖くない。
そして、
ふと心の奥に浮かんできたのが、
「師匠の運転であれば、死んでもいい」
という想いでした。
ごめん、縁起でもない表現 笑
もちろん、
死にたいわけじゃないんですよ。
そういう意味じゃない。
でも、
もし万が一、
事故にあって、
人生が終わるようなことがあったとしても、
別にそれでもいいや
そう思えるくらい、
安心して、
全部を委ねられていたってことです。
今までは、
どれだけ安全運転の人の車でも、
身体はずっと緊張していたのに。。。
その日だけは、
本当に、するっと、
委ねることができた。
それは、私にとって、
ものすごく大きなことでした。
信頼って、
頭で「この人は大丈夫」と
思うことじゃなくて、
身体が、
力を抜けることなのかもしれない
と思いました。
言葉で「信じています」と言うことよりも、
いざという場面で、
自分の身体の反応の方が
正直ですから。
そう考えたときに、
私はこの三年で、
知識を学んだとか、
考え方をもらったとか、
そういうこと以上に、
「身を預けられるほど信頼できる人」
に出会うことができた。
それが、嬉しかったのです!
そして、もう一点、思うのが、
「出会えてよかった」
という話だけでもない気がしています。
きっとこれは、
「そこまで誰かを信じられる自分になれた」
ということでもあるからです。
こういう想いに至るまでに
いろんな人のお世話になって、
離れそうになっても引き戻してもらったり
迷惑かけたり、喧嘩もしたり、
ひどいこと言ったりもしたんですが
それでも、絶対に揺らがない関係性の中に、私をおいてくれた。
そんな感謝も湧き出ました。
昔の私は、
委ねることなんて
絶対できませんでした。
信じたら傷つくし、
失うし、
期待したら裏切られるしね。
だから、
自分で自分を守ってたんですよね。
でも今は、
葛藤、
反発、
メンヘラな気持ちも、
全部経験したうえで
それでもなお、
「この人について行く」
と思えている。
それって、
ただ相手がすごいから、
だけではなくて、
自分のほうにも、
腹をくくる感覚も同時に
育ったんだな、と思えました。
武士道って、
こういう感覚に
少し似ているのかもしれません。
盲目的に従うことではなくて、
迷って、
揺れて、
それでもなお、
この人の見ている世界に
人生を重ねたいと思えること。
その入り口に、
自分は今、
立てている。
それが、もう、
なんだかじんわり、
幸せでね!
師匠と呼びたい人がいること。
そして、
その人に対して
本当の信頼を、自分の中に育ててこられたこと。
人生をかけてもいいと思える相手に
出会えていること。
人生の中で
そんな存在に出会えること自体、
ものすごく幸運なことです。
人はみんな、
何かを学びたいわけじゃなくて、
ほんとうは
〝誰と、どんな世界を生きたいか〟
を探しているんだろうなーと思います。
知識だけでは
人生は賭けられないし、
ノウハウだけでは
全身は委ねることはできない。
その人の生き方、
在り方、
向いている方向、
背負っているもの。
そういうものを、
時間をかけて見て、
自分の中で何度も確かめて、
やっと
「この人を師匠と呼びたい」
になるんだと思います。
だから私は今日、
師匠と呼びたい人がいることが、
幸せだなあと思ったんです。
そして同時に、そういう関係性を
一人でも多くの人に
体験してもらいたいな、と感じました。
今日はそんなことを、
しみじみ感じた日でしので
ブログにしてみました!
読んでくださって、
ありがとうございます。
